Log of a Hypocrite

偽善者

異文化交流

先週の土曜に知人と飲みに行った際、自分は次の日に予定があるからと終電を守って帰宅したのだが、帰らずにバーのあたりを徘徊していた知人は「立ちんぼ」の存在を自分に報告してきた。そんななか、ちょうど今週も集まる予定があり、日曜も予定がないので、飲み会終了後に噂の立っている地帯を歩いてみたのだ。

我々はラブホが数件並んでいる通りへと足を歩めると、建物の角に数人の女性が立っていた。マジかよ。そして事前の報告どおり、彼女らはラテン系の顔立ちをしていた。何やらエッチどう?などと話しかけてくる。せっかくなのでhola!などと挨拶をしたらちょっと驚いた目でこちらを見ていた。ハーフ?japones?と聞かれたので、non half, japones, Si Siと適当に返した。1ブロック先にも二名ほどのグループがおり、横を通り過ぎようとしたところ、ケツを触られた。え???と思って振り返ると、ラテン系の女性がニヤニヤしながらこちらを見ていた。que???

 

我々はその後、ネカフェのある方面に向かって歩き、そこでは一名がネカフェで朝を待つ選択をした。すでに始発まであと2時間ちょいという微妙な時間。残された者たちは自然とあのラブホ通りに歩みを進めていた。

もちろんさっき歩いた道なので、また来たの〜?笑といった雰囲気が漂っていた。黙っていてもしょうがないと友人が値段を聞きに行くと、ホ別2万で”完遂”出来るとのことであった。はぁ。その友人はコンビニへと吸い込まれていった。そして彼は女に金を渡し……。彼のその後の行方は誰も知らない。

 

彼の帰還を信じていた我々は立ちんぼのいる付近に座り込み、朝を待った。あまりに退屈なのでツイキャスをしていたら、立ちんぼのうちの一人が何やら話しかけてきた。仲間がどこかに行ってしまって、見なかった?という内容であった。

なんとなく喋ってくれそうな雰囲気だったので、いやー寒いですねという一言から雑談が始まった。流暢な日本語だった。寒いけど朝は6時まで立っていると。ここでなんでさっきスペイン語話したの?と聞かれ、興味があってちょっと知ってるだけだと答えた。おそらくスペイン語がほんの少しわかったのと、自分が若かったのと、暇だったのと、友人が”消えていった”のでだいぶ印象が良くなったらしく、かなり打ち解けた雰囲気になった。

なんでも彼女は埼玉から来ているらしく、なんとなく外国人売春システムの一端が理解できたような気がした。おそらく全国で人材をローテーションをしているものと思われる。台風が来て新幹線止まっちゃうから早く帰ったほうがいいよと勧告しておいた。

 

話題は変わり、料金システムの話になった。ホ別2万というのは先述したが、どうしても交渉されたり、今日みたいな暇な日は込みで2万もアリらしい。

彼女「ねーアナタね、ここの女たちと(ホテル)行ったことない?」

「ない」

彼女「そっかー、行ったことあると思ったよ。(もしお金なくて)本番は無理でも、(少ない金額で)フxラとかできるよ。一万円で、ここ(尻を指差す)入れたりとかー、これ(手でなにかを扱く動作)も、できる。あまりお金ない人はそうする」

「(笑)でも今ほんとにお金ないよ。5000円ぐらいしか無いんじゃないかなー」

彼女「そっか、7000円はない?」

「無いんじゃないかなぁ、unfortunatelly(笑)」

彼女「アナタ英語うまいね」

「(笑)gracias(笑)」

彼女「(笑)すごーい!何歳?19?20?」

「21だよ」

彼女「お金少ないけど、やりたい?大丈夫?」

「んー大丈夫だよ」

…………

 

寒い朝ではあったが、最後の部分に国を超えた温情を感じたのは確かである。その後警察の取り締まりの話をし、迎えが来て彼女は去っていった。

 

立ちんぼやらパンパンというのははだしのゲンでしか見たことのない世界だったので、この体験は少しショッキングであった。来週末には別の女があそこに立っているのだろう。ホテル前には週ごとに違うドラマがある。

 

京都に行った。深夜に鴨川のほとりやその三角州で酒を飲んだ。昼間になると、鴨川のほとりで狂人が大きな声で何かを叫んでいた。満開のしだれ桜。青々しくなりゆくソメイヨシノ。春。

 

数日前、人気の少ない横断歩道で信号待ちをしている男と女を見た。男は中年ぐらいの見た目だった。男は女の臀部を鷲掴みにして揉みしだいていた。すかさず自分は「そういうのって、不誠実じゃないですか!」と声を荒げた。しかし男は自分の声に動じず、その手は女の腰の下に堂々と鎮座し、芋虫のようにモゾモゾと動いていた。

 誠実さとはなんだろう。大辞林には「偽りがなく、まじめなこと。真心が感じられるさま」という記述がなされている。また、英語で考えるとhonestyやintegrityが挙げられると思う。dictionaryによると、

honesty - "the quality or fact of being honest; uprightness and fairness."

integrity - adherence to moral and ethical principles; soundness of moralcharacter; honesty.

とある。日本語より細かい差異がある。意訳してしまえば前者は「まごころの誠実」、後者が「倫理と道徳の誠実」と差別化するとわかりやすいだろうか。

性的な行為それ自体はhonestyに関わる事では無いだろう。しかし公共の場で、自分という目撃者が存在してしまっている以上、男の手とその意志はintegrityのかけらも持ち合わせていないことになる。ベンチで互いの身体を弄り合っているカップル。飲み屋でペッティングをしている男女。新歓花見という建前で新入生の女を狙う猿。春という季節、街中にはintegrityが溢れている。

Dignity or Truth

2017年の10月、ニジェールにて4人の米陸軍特殊部隊兵士がIS勢力の奇襲によって殉職した。その際に隊員のひとりがヘルメットにウェアラブルカメラを装着しており、録画された映像が先日ISによってweb上に公開された。その映像はネット上に拡散され、SOFREPという特殊部隊に関する記事を扱うサイトのYoutubeチャンネルにも転載された。退役・現役の米軍兵士に広く知られたSOFREPがその動画を転載したことについて、現役・退役の兵士が批判の声をSNSで上げた。現役の兵士からの言い分としては、「仲間が戦死するさまを(それも敵が流した映像を)公に公開するのは(プライバシーや名誉の観点からして)どうなのか?」というものが主体のように思う。

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そして、ここでは敢えてその動画をリンクすることにする。

 


U.S. Special Forces ambushed in Niger

 

 今は削除されてしまっているが、SOFREPのInstagramには一枚の写真とともにこのような釈明文が書かれていた。

 

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sofrep last night we released a video of the ambush in Niger last October that claimed the lives of four members of a Special Forces team operating over there against AQ and ISIS-affiliated terrorist groups. The picture you are looking at was published in the September 20th 1943 issue of Life Magazine. It's an important picture because it was the first time the real cost of WWII, in dead Americans, had been shown to the public. Life knew there would be a public backlash and they published an editorial which began this way; "Here lie three Americans. What shall we say of them? Shall we say that this is a noble sight? Shall we say that this is a fine thing, that they should give their lives for their country? Or shall we say that this is too horrible to look at? Why print this picture, anyway, of three American boys dead upon an alien shore? Is it to hurt people? To be morbid? Those are not the reasons. The reason is that words are never enough. The eye sees. The mind knows. The heart feels. But the words do not exist to make us see, or know, or feel what it is like, what actually happens. The words are never right. The reason we print it now is that, last week, President Roosevelt and [Director of the Office of War Information] Elmer Davis and the War Department decided that the American people ought to be able to see their own boys as they fall in battle; to come directly and without words into the presence of their own dead. And so here it is. This is the reality that lies behind the names that come to rest at last on monuments in the leafy squares of busy American towns." We agree with Life's magazine's position as it was published some 75 years ago. What we see in the video is undaunted courage, bravery and the sacrifice made by these men so far from their home and loved ones. In a war that is the longest in our history. That footage represents the reality of what we are fighting in the war on terrorism. If we are to win it, we can't shrink away when we are faced "directly and without words" with the reality of our own dead.

 ずいぶんと長い文章だが、要点は太字の下線部だと思う。

「言葉は決して十分ではない。(物事というのは)目で見、精神でわかり、心で感じる。見せたり、知らせたり、どういうふうか感じさせたり、何が本当に起こっているのかということを我々に教えるために言葉はあるのではない。言葉は必ずしも正しくない。」

第二次世界大戦時のLife誌に掲載された斃れた米兵の写真を根拠に「目は口以上にものを言う」というのがSOFREP側の根拠だ。

プライバシー/尊厳VS真実の報道である。

対立する二者であるがどちらも正しいと思う。実際に戦場に赴く兵士や遺族の側に立てば批判する側の言い分は理解できるし、目で見ないと何もわからないというSOFREP側の言い分も理解できる。事実として自分は、映像を通し戦闘というものを再認識するきっかけになった。

この事については"2 rights make 1 wrong"以上に言うことは無いのではないだろうか。いや、そもそもwrongでも無いのかもしれない。

小便

とある男性がいる。歳は60前後だろうと思う。くたびれたスーツを着、髪が真っ白になった背の低い男性だ。自分のバイト先に週に一回ぐらい訪れ、大量に買い物をしていく。彼はひどく動きが緩慢で、ニタニタという擬音の似合う表情を常に浮かべている。どこか違和感を感じる人だった。

ここ最近、彼の様子がおかしかった。週を追うごとに衰弱しているような様子を見せていた。そして今日、彼はひどい有様だった。特に服装や髪が乱れているわけでもないが、とてつもない不安定なオーラを発していた。

 

彼は店内で小便を漏らした。自分はレジ打ちなどに追われてその光景は目にしていないが、他の店員がそう言っていた。バカにするでもなく、憐れむでもなく、素直に吃驚してしまった。彼が俯いてブツブツと独り言を言っているところを不審に思った店員が声をかけると彼はひとこと言ったらしい。「おしっこ漏らしちゃった。」

彼はタクシーで帰ると言っていた。自分は店長に、タクシーよりもまずは家族に連絡するのが先ではないかと提案した。しかしその提案は全くナンセンスなものだった。彼に家族はいないらしい……。

 

自分はすぐに孤独が彼をそうさせたのだ、という強い確信を抱いた。

どういう気分なのか?連絡できる親類を持たず、外出先で小便を漏らして「おしっこ漏らしちゃった」としか言えないのは、どういう気分なのか?

彼は孤独と関係なく心の病を抱えていたのかもしれない。だが、その病の進行に孤独が強く関わっていたと推測するのはやぶさかではないだろう。

 

Geld macht frei

親に院進をしたいという旨をやんわり伝えてみたのだが、きっぱりと否定された。金銭的な理由と、何よりも院など行ったら就職できないからと。真っ当すぎる理由だ。お金は大事だよ、というCMが昔あったけど本当にその通り。もしかしたら現状から逃げるためだけにアカデミズムに憧れを抱いているだけかもしれないし。しかし、それでもやはり、違う世界はただ見えるだけでその世界の住人にはなれないのは辛いんだなと思った。そこそこに遊ぶフツーの大学生にもなれず、アカデミズムに身を投じることもできない事が決定した今、中途半端さだけが前方に佇んでいる。

どれだけ考えてもこればかりはどうしようもないので、このことは黙ってあきらめるリストに追加する。リストも何もかもを全て消去するカタルシスがやってくる日まで待つしかない。

自尊心の破壊についての簡潔な報告

友人二名と一緒に歌舞伎町のセクキャバに行った。普通のキャバクラやガールズバーにも行ったことがないのにも関わらずだ。一軒目で軽くアルコールを入れ、二軒目でドイツ料理を食べつつ楽しくビールを飲んだあとの出来事だった。(店舗名書きませんがこの歌舞伎町のドイツ料理屋は本当におすすめです)

 

月曜というのに賑やかな通りを満腹で気分良くぶらぶらと歩く我々の間にはセクキャバという意識しか無かった(?)。ウチは50分6000円だというキャッチについていく。ある建物の二階にある店へと通され6000円を支払い、長椅子に間隔を空け我々は座った。かなり酔っていたの、でクールダウンしようとちびちび烏龍茶を飲みつつ座っていると右隣に女がやってきた。座る瞬間にスカートの丈を縮め、これでもかと脚を露出させ挨拶をしてくる。何やら他愛ない話をしていると突然脚を自分の脚に載せてくる。「あの〜そういうのいいですヨォw」などと適当にかわしつつ喋っていると女は交代していった。

二人目が来た。さっきと同パターンなのでちょ、やめてください(笑)(笑)といった感じでボディタッチをなるべく避けるのだが、お構いなしにメチャクチャ触ってくる。すると友人の差し金で、俺の左に座っていた女が股間を揉んできた。この場合もやはり、ちょっとォやめてくださぃンwといった感じでやんわり手をどけることしかできなかった。自分が情けなく感じた。話を右の女に戻す。「いやほんと自分は女に触りに来たんじゃないんで話すだけでいいンす……w」とキモい断りを入れるも、自分に触れる女の手は止まらず脇腹とかを直接触ってくる。そしてとうとう「ハグはただの挨拶だからさ〜いいじゃん!」とハグをされた。さすがに突き放すこともできず、俺は相手の背中に手を添られないまま5秒ぐらい抱きつかれていた。このの人は一番サービス旺盛だったし人気があるだろうなと思う。

女が替わる。最後のターンだ。ちょっとスレた感じの人で、この人はほとんど触ってこなかったので普通に文字通り楽しく雑な話をした。こういういかがわしい店は初めてですと言うと、いかがわしいという言葉が出て来る語彙をたいそう気に入っていた。しかし事件はその後起こった。俺は二番目の人にそそのかされるがままドリンクを2000円ぐらいいいか、といった感じでおごっていたのだが、それで最後に請求されたのは三人で22000円だった。全員所十三のマンガのように頭の上に!?と感嘆符疑問符が浮かんでいた。どうやらお決まりのパターンで、ドリンクにものすごいtaxがかかっていたらしい。友人のひとりがゴネたが、自分は空気の冷え込みに耐えられず「いいじゃん出しとこうよ〜(泣)」と大人しく金を払って退店。完全にちょろいカモだなぁ。歓楽街でキャッチについていくのは絶対ダメだ。同じパターンで30万取られた話を無料案内所で聞きホッとしたのはそのすぐ後だった。

 

このままじゃ終われねえ、と我々は先述した無料案内所に突入、40分5000円ポッキリでまたもやセクキャバに入店を果たした。洗口液で口をすすいだ後に奥へ進むと、そこは写真現像の暗室のような赤く薄暗い所だった。当然のことながら自分はコーラを飲みつつ女と喋るだけだった。福井県出身という女と恐竜博物館の話で盛り上がった。隣をチラ見するとメチャクチャ抱き合ってチューしていた。なんてアブノーマルな空間なんだろうと少し不気味な感覚に襲われた。お天道様にその姿見せられるのかよ。退店する時に変な金がかかる事もなくそこは本当に5000円ポッキリだったので晴れやかな気分だった。

そこで帰っておけばよかったものを。

 

既に午前二時を回っていたが我々のJourneyはそこで終わりを告げなかった。相席屋だ。さすがに時間が時間でマッチングが厳しかったが、唯一空いている店舗を見つけ入店。ファミレスのような席に通され女二人がやってきて会話スタート。結論から言うと、俺の喋りは相当ひどかったらしい。ビールを飲んでいたが全然いつものように酔えなかった。ちゃんと盛り上がりがあったように思うのは酔いとか気のせいかもしれない。暫く話してから女が席を離れたのでそのタイミングで店を出る。自分は直接聞いていなかったが、友人によると女たちは自分の言動について店員にクレームしまくっていたそうだ。これについて色々と思うところはあるし、その女をひどい言葉で貶したい気持ちはやまやまだが、あくまでここは簡潔な報告として事実を述べるだけにとどめたい。一つだけ言いたいのは、セクキャバよりもつまらない会話を素人女と交わし、聞こえないように悪口を言われてから金を払う瞬間はなによりも格別な自己嫌悪に襲われるということだ。

 

今度はもっとうまく遊べたらいいね、ハム太郎

 

無い物ねだりと諦め

自分はサークルや部活というような一般的な大学生が参加しているようなコミュニティに一切参加していない。当然のことながら、学生で集まる飲み会というものに参加したことがない。それが下らないのは自明レベルでわかっていても、その下らなさを身をもって知りたい。下らなさを納得したい。そして学生の飲み会そのものに諦めを覚えたい。もうそれ以降思いを巡らせたくない――。

 

サークルの飲み会とか友達とか恋人とかサークルの合宿とか、およそ自分が知らずに過ぎ去ってゆくであろうものは無数に存在する。だいたいそういうものは下らないのだろう(強がりだ)。本読んでた方が楽しいし(強がりだ)。

しかし実際それがどういうものなのか気になる。一応自分も同じ人間であり同じ学生という身分なのだから。コンプレックスとまでは言わないが近しいものがある気がする。現実問題としてそれに向けた努力を一切していないので無い物ねだりであることは重々承知だが、その下らなさを知っていないと、身をもって実感してみないとダメじゃないかという義務感はいったいどうしたものか。どうにもならないけどね。手に入らないものを求めるから苦しい。なんとかしてそういったことに対する思いを諦めたい。決別したい。

 

実際に概念にコミットしてみるとか無理矢理納得するとか方法はともかく、諦めや決別で自身の外堀を埋めていけばいくほど人生はソリッドになり、生き辛さは和らぐのではないかと思った。